今回は歩いて鞆の浦をまわる1泊2日のコースをご紹介しました。鞆の浦自体は日帰りでも一周できるほどの小さな街です。鞆の浦には、今回紹介した神社の他にも神社や離島がたくさんありますので、鞆の浦に泊まってゆっくり堪能してほしいですね。車でも行くことができますが、道が狭いので譲り合いの精神をお忘れなく旅に出てくださいね。 コースマップ 【交通+ホテル】広島県に泊まる格安フリープランはこちら
死の波に乗って駆けてきたポニョは、その手で赤ん坊を「世界になじませた」のだ!
5m、海中の基礎の上から宝珠まで11mあり、現在では日本一の大きさを誇ります。常夜燈の近くにはカフェが2軒あり、鞆の浦のシンボルを見ながらひと休みできます。また、天気が良い日には常夜燈付近に座って海を見ながらテイクアウトのドリンクで一休みもおすすめ。昼と夜など常夜燈には、時間によって雰囲気が異なるので、何度も訪れたくなる場所です。 広島県福山市鞆町鞆843-1 084-928-1043(福山市観光課) JR福山駅南口から鞆鉄バス鞆線で約30分「鞆港」下車、徒歩約10分 45分 常夜燈|鞆物語 約5分 8 鞆の浦エリア 2日目 9 10:00頃 出発!
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心温まるあの名作が金曜ロードSHOW! で放送決定! 2017年9月22日21時からの金曜ロードSHOW!
いかがでしたか?今回は崖の上のポニョの都市伝説を考察し、解説しました。いろいろな考えをふまえてまとめると、怖い面もたくさん見えてしまうのですが、海のしぶきの描かれ方、美しい海中のシーンなど見どころは沢山あります。この考察のまとめを信じるかは読んだ方に委ねますが、いろいろと深い物を感じ取りつつ、映画を楽しんでいただければと思います。
そんな『 崖の上のポニョ 』は当初保育園が舞台であったことが、鈴木敏夫プロデューサーの口からラジオ番組「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」で語られています。 宮崎駿監督は当時保育園の物語を描くことが念願だったそうで、冒頭に登場する保育園を舞台に物語が展開される想定で、絵コンテを描き始めたようです。 しかし、宮崎駿は『崖の上のポニョ』制作当時に実際の保育園の開設にも携わり始め、実際にスタジオジブリの社内保育園"3匹の熊の家"を作りました。しかしそのせいで保育園に対する熱量を注ぎすぎたのか、当初の構想とは一転して『 崖の上のポニョ 』は保育園とは別の場所でのエピソードが展開していくように路線変更していったそうです。 本来の構想とは変化していったものの、うまく辻褄を合わせていく宮崎駿の技術を鈴木敏夫が評価して語っていましたが、この路線変更の際にフジモトといったキャラクターが後付けで生まれいったことも語っています。制作中のその時々の宮崎駿の思いで『 崖の上のポニョ 』という物語は、現在の形へと変化していったことがわかります。 洪水後の世界は死後の世界?
「走れるってステキね!」 リサが働いている老人ホームにいたおばあちゃんたちは、普段は車イスに座って生活していました。しかし物語の終盤では、おばあちゃんたちが走り回るシーンが描かれています。 これには「 死後の世界だから自由に走り回ることができたのではないか 」 という説 があります。確かに、まるで天国にいるかのようにおばあちゃんたちは元気に楽しそうにしていました。津波によって町が飲み込まれているため、亡くなっている可能性も十分にあります。 しかし、 グランマン・マーレやフジモトが魔法を施したという説も有力 です。 海に魔力が満ちているため、その魔力にあてられておばあちゃんたちが元気になったという可能性もあります。 【ポニョ都市伝説④】ポニョは赤ん坊を「天国」に送った!? 宗介とポニョがリサを探しに出かけた時、2人は古風な夫婦とすれ違います。女性の腕には産まれたばかりの赤ん坊がいて、泣き出しそうな赤ん坊にポニョがキスをした途端、泣き止むというワンシーン。 実は公式設定におけるこの夫婦は「 大正時代の人 」。宗介が生きている時代とは異なります。赤ん坊一人だけ生き残ってしまい、夫婦は心配で成仏できないのではないかとされています。 そこで思い出してほしいのが ポニョの本名、ブリュンヒルデ。北欧神話に登場する戦乙女ワルキューレの長女の名前で、その役割は「 死者を黄泉に導く 」ことです。 ポニョが赤ん坊にキスしたことによって、赤ん坊は両親のもとに送られ、安心して泣き止んだという見解があります。 『崖の上のポニョ』のジブリ飯にも都市伝説が隠されていた! ジブリ作品には必ずといっていいほど「ジブリ飯」のシーンがあります。宮崎駿監督が描く食べ物は食欲をそそられますね。。『崖の上のポニョ』でも、食べたくなるようなジブリ飯が描かれていますが、実はそこにも「都市伝説」と呼ばれるものが存在する事をご存知でしょうか? それでは、早速おいしそうなジブリ飯と共に、それにまつわる都市伝説を考察していきます。 【ポニョのジブリ飯都市伝説①】宗助とポニョが食べたチキンラーメンは死後の世界との境界線!? 『崖の上のポニョ』で登場するジブリ飯は、リサ特製のチキンラーメン。厚いハムとネギ、ゆで卵が乗っていてポニョは大興奮でした。 ジブリの世界では、食べ物が境界線を分けるキーアイテムになっていることも多々あります。『千と千尋の神隠し』では、千尋の両親があっち側の世界の食べ物を食べたことで豚になってしまいました。『崖の上のポニョ』でも同じことで、 火を使用した料理というのは現世で食べるもの だと言われており、チキンラーメンが境界線を示している可能性があります。 火を使った料理を食べてポニョも晴れて人間側の世界に来たという隠喩 か、 宗介が現世で食べる最後の料理だったという隠喩 ( ポニョが 「 死者を黄泉に導く 」 役割を持っている場合 ) か、 あるいはその両方 かもしれません。 【ポニョのジブリ飯都市伝説②】ポニョがハム好きな理由は現世の存在ではないから!?
崖の上のポニョのトンネルの謎や死後の世界説は本当?都市伝説を徹底考察!
写真拡大 (全4枚) 日本のみならず世界中で高い評価を受けるスタジオ ジブリ の 宮崎駿 監督によるアニメ映画。2008年に公開された『 崖の上のポニョ 』もそのひとつです。公開当時、宮崎監督最後の長編映画になるのではという話もあったため、興行収入150億円を超える大ヒットとなりました。 ポニョの秘密を大公開! 多くの観客を動員し、初めてテレビ放送された際には30%に迫る視聴率をも記録したこの作品。今回はそんな『崖の上のポニョ』にまつわる秘密や裏設定、制作秘話、信じられない噂の情報まで、たっぷりとお届けします! 1. 水を描きたいという監督のワガママから始まった 『崖の上のポニョ』は宮崎監督が「水を描きたい」という強い思いから構想が決まりました。宮崎監督は前作の『ハウルの動く城』では炎を描くことにこだわって制作し、見事に大ヒット。このヒットを受けて宮崎監督は「炎の次は水だ」と意気込んだそうで、作品の構想を練り始めたのだとか。宮崎監督は「生き物のような波」の表現にこだわり、波を巨大な魚と見立て、圧倒的なボリューム感で荒れ狂う波を描き上げました。 2. 子どもに配慮したエンドロール 『崖の上のポニョ』のエンドロールは、一般的な映画作品と比べ、とてもシンプルで短いという珍しいものになっています。主題歌と一緒に「このえいがをつくった人」というエンドロールが流れ、全出演者とスタッフの名前がアイコン付きで50音順に表記されていくのですが、役職や肩書きは表記なし。誰が何の担当だったのかわからないものになっているのです。そしてエンドロールが流れる時間は主題歌『崖の上のポニョ』が流れる間だけというとても短い時間になっています。これらは幼い子どもたちが最後まで集中して見ることができるようにという配慮から、このようなエンドロールになったそうです。 3. モデルは瀬戸内海の港町 『崖の上のポニョ』の舞台は、瀬戸内海の港町である広島県福山市の鞆の浦(とものうら)がモデルになっています。宮崎監督は2004年にスタジオジブリの社員旅行でこの場所を訪れた際にとても気に入り、その翌年の春に鞆の浦の海に隣した崖の上の一軒家に2ヶ月間滞在しました。そして2006年の夏にも再訪し、『崖の上のポニョ』の構想を練ったのです。特に作品のカギとなっている生き物のように描かれた波は、鞆の浦の景色から大きなヒントを得たのだと言われています。 また、宮崎監督は鞆の浦滞在中によく一人で散歩をしていて、町の人から慕われていたそうです。鞆の浦には宮崎監督がプロデュースしたカフェ兼旅館もあります。 4.